幸せな孤独な薔薇、終演。
千田です。
先日『幸せな孤独な薔薇』という舞台が終演いたしました。
21年ほど前に、田嶋ミラノさんが生み出した一本の脚本。
当時旗あげられたシアターキューブリックという劇団に僕らは参加したばかりで、
この作品の初演を見たのです。
そして、今年、
僕たちは『幸せな孤独な薔薇』を上演いたしました。
不思議と、当時「見た」という記録と、いま「演じた」という記録は
違和感なく擦り合わされたと思います。
古めかしさなど微塵も感じず、今の人々にもするりと潜り込む情感は
見事!という他ない。
僕らは、この作品を選んだというより、与えられたような気がします。
演劇を始めた頃の瑞々しさが、戻ってきたような、
それでいて、これまで培ってきた事が実を結んだような。
実は、昨年やるはずで、1年の延期を経て、今年上演しました。
それも必要だった事なのでは?と思えるような
「今」やる事が、ちょうど良いタイミングでした。
良い作品を作る事ができました。
見て頂けて、本当に嬉しい。応援いただけて、感謝しか無い。
たくさんの人たちの力が、僕たちの周りを巡っていった。
ほんとうに、ありがとうございました。
ほんとうに。
終わったことをアレコレ語るのはあまり好きではないのでこれぐらいにしますが、
七転八倒しながらも、これまで芝居の世界にいて、良かったのだなと思います。
この作品がまた起点となり、これからもより良い作品を得られますように。
また一歩一歩紡いでいこうと思います。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
千田剛士
ぼくは、演劇を始めた頃にたくさんの作品に出会いました。
ぼくにとっては黄金郷のような時代だった。
今でも記憶に残る作品が多かったし、若かったからこそ出会いに一喜一憂していた。
演劇はその時、その瞬間に、同じ時を共に過ごすことを良しとする、瞬きのような文化ですが、
脚本というものは、永遠に残っていくタイムカプセルのようなもの。
もし機会があれば、また、かつて僕らの心を鷲掴みにした
最高の脚本たちに挑戦してみたいです。
先日『幸せな孤独な薔薇』という舞台が終演いたしました。
21年ほど前に、田嶋ミラノさんが生み出した一本の脚本。
当時旗あげられたシアターキューブリックという劇団に僕らは参加したばかりで、
この作品の初演を見たのです。
そして、今年、
僕たちは『幸せな孤独な薔薇』を上演いたしました。
不思議と、当時「見た」という記録と、いま「演じた」という記録は
違和感なく擦り合わされたと思います。
古めかしさなど微塵も感じず、今の人々にもするりと潜り込む情感は
見事!という他ない。
僕らは、この作品を選んだというより、与えられたような気がします。
演劇を始めた頃の瑞々しさが、戻ってきたような、
それでいて、これまで培ってきた事が実を結んだような。
実は、昨年やるはずで、1年の延期を経て、今年上演しました。
それも必要だった事なのでは?と思えるような
「今」やる事が、ちょうど良いタイミングでした。
良い作品を作る事ができました。
見て頂けて、本当に嬉しい。応援いただけて、感謝しか無い。
たくさんの人たちの力が、僕たちの周りを巡っていった。
ほんとうに、ありがとうございました。
ほんとうに。
終わったことをアレコレ語るのはあまり好きではないのでこれぐらいにしますが、
七転八倒しながらも、これまで芝居の世界にいて、良かったのだなと思います。
この作品がまた起点となり、これからもより良い作品を得られますように。
また一歩一歩紡いでいこうと思います。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
千田剛士
ぼくは、演劇を始めた頃にたくさんの作品に出会いました。
ぼくにとっては黄金郷のような時代だった。
今でも記憶に残る作品が多かったし、若かったからこそ出会いに一喜一憂していた。
演劇はその時、その瞬間に、同じ時を共に過ごすことを良しとする、瞬きのような文化ですが、
脚本というものは、永遠に残っていくタイムカプセルのようなもの。
もし機会があれば、また、かつて僕らの心を鷲掴みにした
最高の脚本たちに挑戦してみたいです。