葡萄酒いろのミストラル、終演!
千田です!
こんにちは(^o^)/
『葡萄酒いろのミストラル』の舞台公演が終わり、一週間。
体にも心にもまだまだ爪痕が残っておりますが、
頭の中はゆっくりと整理されていく日々。
一つの作品を思いかえすときに、たいていは数ヶ月、長くて1年余りが常なのですが、
この作品に関して言えば、最低で3年、僕の場合は20年ほどを遡ることになりました。
今回の『葡萄酒いろのミストラル』が立ち上がったのが、前々回公演の『十二階のカムパネルラ』の公演準備中です。
とうとう劇団も20周年になるということで、上演作品の選定時に満場一致であがったのが、この『葡萄酒いろのミストラル』という作品です。
この作品は、過去3度、今回で4度目の上演となります。
とても不思議な作品で、過去、節目というよりは、今、劇団に必要なときに訪れる作品のように思えます。
すべて僕個人の感想ですが・・・(^^)
初めて上演したのが2002年4月。劇団を旗揚げして2年目、劇団としては5本目の上演でした。

劇団の旗揚げに参加し、若さだけを武器にのしあがろう!と息巻いていた当時の僕らですが、
息切れを感じはじめていました。
半年間の基礎訓練を積み、旗揚げし、最初の公演から当時としては非常に多くのお客さんにご来場いただきました。
しかし、その後、伸びてはいきませんでした。
毎日のように会い、稽古の日々。話し合いの日々。ときには語らい、ときには喧嘩もたくさんしました。
猪突猛進だった自分たちに、少し疑問を感じ始めたときにやってきたのが、『葡萄酒いろのミストラル』でした。
ご覧の方には伝わりやすい事と思いますが、この作品のテーマは「ひとりではない」だと思っています。
とりまく環境、集団の中にいて、孤独ではないと力強い追い風を送ってくれるお話。
緑川が意図して書いたかはわかりませんが、「宮澤賢治」という人にインスパイヤを受けたときに、ずるりと入り込んできたのでしょう。今、強く感じますが、賢治さんが目指したほんとうの幸いはこの辺りにあるのだろうと思います。
「ひとりではない」
シアターキューブリックがこれから歩き続けていくときに、とても重要だった。

作・演出の緑川はよく、「最後の方はどうやって書いたか自分でもよくわかってない。」って、言います。
なにかにとり憑かれたように書き上げたそう。
これを神がかったもののおかげとしてしまっては簡単です。
僕は人のちからは凄いと信じていますので、個人のちからだと思います。
自分でも知らないちからを出したのかどうかはわからないですがね。
次に上演したのは、なんと2年後です(^o^)
2004年の5月です。

おかげさまで作品の質はとても上質に向かっていったと思います。
良い劇団になろうとしていた。
演劇業界を見回すと、とても変動が激しい時期だったように思います。
僕らが憧れた劇団や俳優の皆さんはそれはそれは輝いていました。
僕らは手に汗握り、血湧き肉躍っていたものです。
そのおかげで、たくさんの、それはそれはたくさんの劇団、俳優たちが生まれていきました。
先輩方はどんどん年をとっていき、若人たちが追いつけ追い越せとばかりに台頭していく・・・
とは、なりませんでした。
若くして素晴らしい劇団はたくさんありました。
しかし、そうではない団体もたくさん出来ました。
それでいて演劇を見る人口は比例して増えていってはいませんでした。
選択肢は増え、質のギャンブル性は高まりました。
俳優たちも数が多く、以前よりもばらつきが起きはじめていました。
すると、劇団の興行が小規模化していったのです。
シアターキューブリックは猪突猛進でしたから、あまりそれに気づいていなかったと思います。
自分たちの公演をよりよくしていく。それだけを考え、業界全体が薄まったり小さくなっていったりしていることがわからなかったのです。
今思えば、とても危険でしたね。
演劇はとても、井の中の蛙になりやすい活動形態です。
特に当時は、インターネットも普及しておらず、情報が少なかった。
そんなときに訪れたのが『葡萄酒いろのミストラル』でした。
当時を思い返しても、どうして初演から2年しか経っていないのに、再演に踏み切ったのか?わかりません。
しかし、特に反対もなく、困惑もなく、「ああ、そうだね。ミストラルやろう」と劇団がなっていた。
しかも初の再演です。とても不思議です。
2回目の『葡萄酒いろのミストラル』では、三人の外部団体からの出演者さんがおりました。
演劇集団キャラメルボックスの温井摩耶さん。
カプセル兵団の吉久直志さん。
劇団タコあし電源の大浦さやかさん。
今も各自大活躍中のみなさん。団体を変え活躍しているかた、業態を増やし活躍しているかた、家庭にもたくさん力をいれ頑張っているかた、表現活動にさらに熱を帯びているかた、愛と熱と前進を旨としているかた・・・etc.
そんなイメージです。
客演さんが新しい風を送り込んでくれた。
そういうタイミングであったのではありません。
シアターキューブリックが外部から出演のかたをお呼びしたのは、2003年7月の『さよなら夏のリセ』という作品から。
次の2003年12月の『サンタクロース・ドットコム!』では4名の方の力をお借りしました。
きほん、人見知りっ子の集まりの劇団ですから、ただただ緊張していたように思います。
お客様と。
そんなシアターキューブリックが、団体としても個としても、「外」とがっつり向かい合うべく取り組めた作品が
『葡萄酒いろのミストラル』だったように思うのです。
不思議なほど論じ合いましたし、関係のないところで団らんも多かった。
個々の活動の話もたくさん聞いた。シアターキューブリックにいるだけではわからないことも、たくさん知ることができました。

僕がカプセル兵団さんによく出演するようになったり、大浦さんが主導するインプロ(即興劇)を続けるようになったのもこの頃。演劇の幅が広がっていきました。
「世界は、もっともっと広いんだ!」かりんが劇中で言っていますね(^^)
まさにその気分でしたよ。
3回目のミストラルはそれから8年後。
2012年5月。

その間にあったこと。
ホラー公演やった。
鉄道公演やった。
戦国活劇やった。
銭湯演劇やった。
10周年むかえた。
うわぁ。劇団が激動ですね(^^)
シアターキューブリックの王道はファンタジーです。
その「枠」の拡大が止まらなかった。
どれも挑戦的で革命的な作品づくりだったように思う。
10周年なんて気づいたらやってきていて、自分たちがびっくりした。
そして一番大きなことは、シアターキューブリックの半数が、岐阜県での活動を期間限定で行ったことです。
僕は、東京に残りました。
岐阜へ行ったメンバーは、なれない活動、なれない生活、なれない客層の中、目覚ましい結果を次々と残していきました。
とても誇らしいです。
東京で残ったメンバーは、その間、劇団活動がストップしますから、しばし日を置いてから、墨田区の商店街での活動をはじめました。「帰ってきたキューピッドガールズ」の開始ですね。
そんなに若くないメンバーが、アイドルと称し、ヒーローショーの真似事をし、商店街の一角でステージを行いました。
毎週。
こちらも、なれない事だらけ。話し合いと稽古の日々。自虐的に始まりましたが、少しづつ自信もつき、まちにも溶け込んで行きます。
そしてシアターキューブリックですが、岐阜での活動を終えたメンバーが合流し、再開します。
岐阜での活動、東京での活動。
それぞれが、以前の「シアターキューブリック」から変化していました。
良いとも悪いとも言えないのですが、
客演さんを迎えたような違和感がお互いあったように思います。
お互いが「違い」ました。
そのときに上演することにしたのが『葡萄酒いろのミストラル』です。

また再度、劇団がひとつになるべく、この作品がやってきてくれたように思えるのです。
「ひとりじゃない」
この言葉がまた訪れました。
今回、2022年5月。

いや、2020年の10月にもともとは上演する予定でした。
この間のシアターキューブリックに関してはあまり多く語りません。
あまりいい思い出ではなかったとかではなく、
年を重ねたからです。思い出を持ちすぎないことがなんだか年を経た自分の大事な感覚です。
上演を決めたときは、20周年の節目であったから良いという気持ちでした。
これまで自分たちを救ってくれたこの作品。
誰も反対はありませんでした。
しかし、2度、延期をすることになりました。
この2年間で起きたことと言えば、パンデミックです。
情報に関しては、多方向にたくさんあり、ほんとうはなんだかわかりませんが、
演劇界どころか、世界中の人、ひとりひとりの日々に大きな影響があったことは事実です。
これからどうなるのだろう?
生活はもどるのだろうか?
未来は明るいのだろうか?
そもそも明日は来るのだろうか?
なんだかそんなような、一寸先を闇に感じてしまう感覚であろうと思います。
僕は、この2度の延期は非常に意味があったのだと思っています。
一つは、公演の密度が上がったこと。
20周年記念のもうひとつの作品『幸せな孤独な薔薇』のときもそうでしたが、
これも一度、延期をしまして。それももうすぐ本番というタイミングで。
その後、稽古再開したときの感覚は、再度ではなく、「あの時の続き」でした。
その間、再考され、熟成され、お互いの心の距離も近くなっていました。
不思議です。作品が結びつけてくれた絆は今も強く、交流も続いています。
それによって練り上げられた作品は純度もあがり、とても良い上演が出来たなと思います。
自信作の一つになりました。
もう一つ。
僕は、演劇は「エールを送る」ものだと思っています。
見に来てくれた方に、明日を少しでも明るくさせるエール。
演劇には不思議な力があって、なかなか言葉で伝えづらい感覚で、
体験すると、強い共感力と、前進力、活性を与えます。
つったわりずらぁ〜〜い(^^)
良質な作品を見られた方には、なんとなくわかって頂けるかと。
エール。
「ひとりじゃない」
僕らは演劇を通し、劇団メンバーと密に交流し、ときには外部の方に力をかり、そして、社会とつきあっています。
演劇を、どこかの誰かが自分たちのためだけに、自分たちが楽しいことをただやって、それを楽しんでくれる人たちだけを集めて、時間をつぶしている。そんな風にしたくない。
理想は、すべての人達がすべからく喜んでくれる興行という壮大なことです。
100%はありえない。
果たしでそうでしょうか?
僕は人間のちからを信じているので、それは実現できるのでは?と考えます。
不可能なんて無い。
現在、目の前に暗い帳が降りているような人がはびこっている中、
演劇の力は非常に重要に思います。
世の中を明るく、力強く、元気よく!
僕らだけじゃない、みんなの力になるべく『葡萄酒いろのミストラル』がやってきてくれた。

もうひとつ。僕らにとっても背中を押してくれた。
ちょい前の行で書きましたが、年を重ねてしまった。
初演から20年。作品にあるものはほとんど変わっていない。
今回で行ったら、井俣くんやのぼさん、七味さんもかな?
僕と同世代の俳優さんたちにも参加してもらった。
そして、まるで劇団旗揚げして間もない頃のような、若さを武器にしたような作品で
縦横無尽に活躍してもらった。
まだまだというか、これから一層、ちから強く、明るく元気な作品づくりに傾倒していきたい。
大政奉還を経て、文明開化を得、演劇界に新派が始まったように、
大東亜戦争後、軍から民になったことで小劇場演劇が台頭したように、
また、激動の世を経て、日本の演劇はまた新しい時代が始まるかもしれません。
そんなときに、自分たちが先頭にいられるよう、ちからを付けていきたい。
「飛び立つときは自分で決めなくちゃ」
かりんも言っていますが、
老いるというのは順番ではない。
自分で決めることだ。
社会であり、個である。
演劇をするということはそういうことだ。
これからも続けいていく。
『葡萄酒いろのミストラル』が、今後またいつやってくるかはわかりません。
苦しく厳しく、成長せざるを得ない時ばかりにやってきてくれましたが、
助けてもらってばかりでは忍びない。
次、上演するときは、僕らのほうがこの作品のちからになれるよう、ありたいものです。
ひとりではないですからね。
まだまだこれからも宜しくおねがいいたします。
こんにちは(^o^)/
『葡萄酒いろのミストラル』の舞台公演が終わり、一週間。
体にも心にもまだまだ爪痕が残っておりますが、
頭の中はゆっくりと整理されていく日々。
一つの作品を思いかえすときに、たいていは数ヶ月、長くて1年余りが常なのですが、
この作品に関して言えば、最低で3年、僕の場合は20年ほどを遡ることになりました。
今回の『葡萄酒いろのミストラル』が立ち上がったのが、前々回公演の『十二階のカムパネルラ』の公演準備中です。
とうとう劇団も20周年になるということで、上演作品の選定時に満場一致であがったのが、この『葡萄酒いろのミストラル』という作品です。
この作品は、過去3度、今回で4度目の上演となります。
とても不思議な作品で、過去、節目というよりは、今、劇団に必要なときに訪れる作品のように思えます。
すべて僕個人の感想ですが・・・(^^)
初めて上演したのが2002年4月。劇団を旗揚げして2年目、劇団としては5本目の上演でした。

劇団の旗揚げに参加し、若さだけを武器にのしあがろう!と息巻いていた当時の僕らですが、
息切れを感じはじめていました。
半年間の基礎訓練を積み、旗揚げし、最初の公演から当時としては非常に多くのお客さんにご来場いただきました。
しかし、その後、伸びてはいきませんでした。
毎日のように会い、稽古の日々。話し合いの日々。ときには語らい、ときには喧嘩もたくさんしました。
猪突猛進だった自分たちに、少し疑問を感じ始めたときにやってきたのが、『葡萄酒いろのミストラル』でした。
ご覧の方には伝わりやすい事と思いますが、この作品のテーマは「ひとりではない」だと思っています。
とりまく環境、集団の中にいて、孤独ではないと力強い追い風を送ってくれるお話。
緑川が意図して書いたかはわかりませんが、「宮澤賢治」という人にインスパイヤを受けたときに、ずるりと入り込んできたのでしょう。今、強く感じますが、賢治さんが目指したほんとうの幸いはこの辺りにあるのだろうと思います。
「ひとりではない」
シアターキューブリックがこれから歩き続けていくときに、とても重要だった。

作・演出の緑川はよく、「最後の方はどうやって書いたか自分でもよくわかってない。」って、言います。
なにかにとり憑かれたように書き上げたそう。
これを神がかったもののおかげとしてしまっては簡単です。
僕は人のちからは凄いと信じていますので、個人のちからだと思います。
自分でも知らないちからを出したのかどうかはわからないですがね。
次に上演したのは、なんと2年後です(^o^)
2004年の5月です。

おかげさまで作品の質はとても上質に向かっていったと思います。
良い劇団になろうとしていた。
演劇業界を見回すと、とても変動が激しい時期だったように思います。
僕らが憧れた劇団や俳優の皆さんはそれはそれは輝いていました。
僕らは手に汗握り、血湧き肉躍っていたものです。
そのおかげで、たくさんの、それはそれはたくさんの劇団、俳優たちが生まれていきました。
先輩方はどんどん年をとっていき、若人たちが追いつけ追い越せとばかりに台頭していく・・・
とは、なりませんでした。
若くして素晴らしい劇団はたくさんありました。
しかし、そうではない団体もたくさん出来ました。
それでいて演劇を見る人口は比例して増えていってはいませんでした。
選択肢は増え、質のギャンブル性は高まりました。
俳優たちも数が多く、以前よりもばらつきが起きはじめていました。
すると、劇団の興行が小規模化していったのです。
シアターキューブリックは猪突猛進でしたから、あまりそれに気づいていなかったと思います。
自分たちの公演をよりよくしていく。それだけを考え、業界全体が薄まったり小さくなっていったりしていることがわからなかったのです。
今思えば、とても危険でしたね。
演劇はとても、井の中の蛙になりやすい活動形態です。
特に当時は、インターネットも普及しておらず、情報が少なかった。
そんなときに訪れたのが『葡萄酒いろのミストラル』でした。
当時を思い返しても、どうして初演から2年しか経っていないのに、再演に踏み切ったのか?わかりません。
しかし、特に反対もなく、困惑もなく、「ああ、そうだね。ミストラルやろう」と劇団がなっていた。
しかも初の再演です。とても不思議です。
2回目の『葡萄酒いろのミストラル』では、三人の外部団体からの出演者さんがおりました。
演劇集団キャラメルボックスの温井摩耶さん。
カプセル兵団の吉久直志さん。
劇団タコあし電源の大浦さやかさん。
今も各自大活躍中のみなさん。団体を変え活躍しているかた、業態を増やし活躍しているかた、家庭にもたくさん力をいれ頑張っているかた、表現活動にさらに熱を帯びているかた、愛と熱と前進を旨としているかた・・・etc.
そんなイメージです。
客演さんが新しい風を送り込んでくれた。
そういうタイミングであったのではありません。
シアターキューブリックが外部から出演のかたをお呼びしたのは、2003年7月の『さよなら夏のリセ』という作品から。
次の2003年12月の『サンタクロース・ドットコム!』では4名の方の力をお借りしました。
きほん、人見知りっ子の集まりの劇団ですから、ただただ緊張していたように思います。
お客様と。
そんなシアターキューブリックが、団体としても個としても、「外」とがっつり向かい合うべく取り組めた作品が
『葡萄酒いろのミストラル』だったように思うのです。
不思議なほど論じ合いましたし、関係のないところで団らんも多かった。
個々の活動の話もたくさん聞いた。シアターキューブリックにいるだけではわからないことも、たくさん知ることができました。

僕がカプセル兵団さんによく出演するようになったり、大浦さんが主導するインプロ(即興劇)を続けるようになったのもこの頃。演劇の幅が広がっていきました。
「世界は、もっともっと広いんだ!」かりんが劇中で言っていますね(^^)
まさにその気分でしたよ。
3回目のミストラルはそれから8年後。
2012年5月。

その間にあったこと。
ホラー公演やった。
鉄道公演やった。
戦国活劇やった。
銭湯演劇やった。
10周年むかえた。
うわぁ。劇団が激動ですね(^^)
シアターキューブリックの王道はファンタジーです。
その「枠」の拡大が止まらなかった。
どれも挑戦的で革命的な作品づくりだったように思う。
10周年なんて気づいたらやってきていて、自分たちがびっくりした。
そして一番大きなことは、シアターキューブリックの半数が、岐阜県での活動を期間限定で行ったことです。
僕は、東京に残りました。
岐阜へ行ったメンバーは、なれない活動、なれない生活、なれない客層の中、目覚ましい結果を次々と残していきました。
とても誇らしいです。
東京で残ったメンバーは、その間、劇団活動がストップしますから、しばし日を置いてから、墨田区の商店街での活動をはじめました。「帰ってきたキューピッドガールズ」の開始ですね。
そんなに若くないメンバーが、アイドルと称し、ヒーローショーの真似事をし、商店街の一角でステージを行いました。
毎週。
こちらも、なれない事だらけ。話し合いと稽古の日々。自虐的に始まりましたが、少しづつ自信もつき、まちにも溶け込んで行きます。
そしてシアターキューブリックですが、岐阜での活動を終えたメンバーが合流し、再開します。
岐阜での活動、東京での活動。
それぞれが、以前の「シアターキューブリック」から変化していました。
良いとも悪いとも言えないのですが、
客演さんを迎えたような違和感がお互いあったように思います。
お互いが「違い」ました。
そのときに上演することにしたのが『葡萄酒いろのミストラル』です。

また再度、劇団がひとつになるべく、この作品がやってきてくれたように思えるのです。
「ひとりじゃない」
この言葉がまた訪れました。
今回、2022年5月。

いや、2020年の10月にもともとは上演する予定でした。
この間のシアターキューブリックに関してはあまり多く語りません。
あまりいい思い出ではなかったとかではなく、
年を重ねたからです。思い出を持ちすぎないことがなんだか年を経た自分の大事な感覚です。
上演を決めたときは、20周年の節目であったから良いという気持ちでした。
これまで自分たちを救ってくれたこの作品。
誰も反対はありませんでした。
しかし、2度、延期をすることになりました。
この2年間で起きたことと言えば、パンデミックです。
情報に関しては、多方向にたくさんあり、ほんとうはなんだかわかりませんが、
演劇界どころか、世界中の人、ひとりひとりの日々に大きな影響があったことは事実です。
これからどうなるのだろう?
生活はもどるのだろうか?
未来は明るいのだろうか?
そもそも明日は来るのだろうか?
なんだかそんなような、一寸先を闇に感じてしまう感覚であろうと思います。
僕は、この2度の延期は非常に意味があったのだと思っています。
一つは、公演の密度が上がったこと。
20周年記念のもうひとつの作品『幸せな孤独な薔薇』のときもそうでしたが、
これも一度、延期をしまして。それももうすぐ本番というタイミングで。
その後、稽古再開したときの感覚は、再度ではなく、「あの時の続き」でした。
その間、再考され、熟成され、お互いの心の距離も近くなっていました。
不思議です。作品が結びつけてくれた絆は今も強く、交流も続いています。
それによって練り上げられた作品は純度もあがり、とても良い上演が出来たなと思います。
自信作の一つになりました。
もう一つ。
僕は、演劇は「エールを送る」ものだと思っています。
見に来てくれた方に、明日を少しでも明るくさせるエール。
演劇には不思議な力があって、なかなか言葉で伝えづらい感覚で、
体験すると、強い共感力と、前進力、活性を与えます。
つったわりずらぁ〜〜い(^^)
良質な作品を見られた方には、なんとなくわかって頂けるかと。
エール。
「ひとりじゃない」
僕らは演劇を通し、劇団メンバーと密に交流し、ときには外部の方に力をかり、そして、社会とつきあっています。
演劇を、どこかの誰かが自分たちのためだけに、自分たちが楽しいことをただやって、それを楽しんでくれる人たちだけを集めて、時間をつぶしている。そんな風にしたくない。
理想は、すべての人達がすべからく喜んでくれる興行という壮大なことです。
100%はありえない。
果たしでそうでしょうか?
僕は人間のちからを信じているので、それは実現できるのでは?と考えます。
不可能なんて無い。
現在、目の前に暗い帳が降りているような人がはびこっている中、
演劇の力は非常に重要に思います。
世の中を明るく、力強く、元気よく!
僕らだけじゃない、みんなの力になるべく『葡萄酒いろのミストラル』がやってきてくれた。

もうひとつ。僕らにとっても背中を押してくれた。
ちょい前の行で書きましたが、年を重ねてしまった。
初演から20年。作品にあるものはほとんど変わっていない。
今回で行ったら、井俣くんやのぼさん、七味さんもかな?
僕と同世代の俳優さんたちにも参加してもらった。
そして、まるで劇団旗揚げして間もない頃のような、若さを武器にしたような作品で
縦横無尽に活躍してもらった。
まだまだというか、これから一層、ちから強く、明るく元気な作品づくりに傾倒していきたい。
大政奉還を経て、文明開化を得、演劇界に新派が始まったように、
大東亜戦争後、軍から民になったことで小劇場演劇が台頭したように、
また、激動の世を経て、日本の演劇はまた新しい時代が始まるかもしれません。
そんなときに、自分たちが先頭にいられるよう、ちからを付けていきたい。
「飛び立つときは自分で決めなくちゃ」
かりんも言っていますが、
老いるというのは順番ではない。
自分で決めることだ。
社会であり、個である。
演劇をするということはそういうことだ。
これからも続けいていく。
『葡萄酒いろのミストラル』が、今後またいつやってくるかはわかりません。
苦しく厳しく、成長せざるを得ない時ばかりにやってきてくれましたが、
助けてもらってばかりでは忍びない。
次、上演するときは、僕らのほうがこの作品のちからになれるよう、ありたいものです。
ひとりではないですからね。
まだまだこれからも宜しくおねがいいたします。