『島津の疾風』フォトレポート!

行ってまいりました!!
関ヶ原!!!!!!!
どしゃぶりの雨の中!
長曾我部最高委員会・真田上田観光特使・レキシズル連合車に相乗りさせて頂きました!!
キューブリックの面々
関ヶ原観光協会はじめ、関ヶ原合戦祭り実行委員のみなさん
全国の関ヶ原ファンのみなさんの祈りがとどいたのか
大雨注意報すら出ていた15日当日、なんと雨が上がる!!!
さながら411年前、関ヶ原の合戦がおこなわれた当日
霧立ちのぼる、靄くすぶる朝でした!!
テンションあがります!
さっそく高知県立歴史民俗資料館、キューブリック、長曾我部最高委員会の「長宗我部ブース」を訪れ
次に楽屋をおとずれた。
久々に逢うシアターキューブリックの面々はもはやシティの臭いはしない。
「The もののふ」
南方から日本を睨み、朝鮮でも相手を震え上がらせた
島津・薩摩の人間たるには充分な顔つきだ。
僕は相変わらずのニヤケ顔で
みんなとお茶を濁す。
さぁ、本番が始まる。

足場危険につき、急遽ホール内での上演となったのに
迅速なスタッフ陣の対応には恐れ入ります。
演技・音響は身内の作業なので「頑張れ!」としか言えないが、
ほとんど打ち合わせもできぬまま、ほぼぶっつけ!
だというに、ほぼ完璧どころか、情感たっぷりの明かりを作っていただきました!感謝!!
さぁ、『島津の疾風』、今回は映像もほとんど残せず、
東京の劇団としては、遠出での公演なので
見たくても見られなかった人が多かったと思います。
ざっくりとですが
写真にて内容紹介いたします。
まぁ、ホントにざっくりなので、関ヶ原の合戦の事実と照らしあわせてご覧頂けると丁度よいかとおもいます。
『島津の疾風』

時は戦国、関ヶ原の大戦間近。薩摩の猛将・島津義弘より薩摩の地へ火急の知らせが届いた!
「殿さあが危ない!」
志願兵を募るしらせに、薩摩中の男たちが日本最南端から遙か上方へ、急ぎ疾走する!
中馬大蔵も知らせをきき、
馬も具足も軍資金ももたず、居ても立ってもいられず走りだす!

旅路、中馬と出会う人々。その身ひとつ、ただ走りだし、だが行かねばならぬと、中馬は協力を申し出る。
だが、そんな見知らぬ男にそんな簡単に力はかせない。

“えつこお姉さんの薩摩弁講座”
公演は、薩摩弁を駆使して行われた。きつい方言。
自分を「おごじょ」と言いはる。「おごじょ」は「美人の意味」

中馬大蔵は一人で走りだした!
その姿は美しさからは程遠い、疲労困憊したおんぼろの連中が後から後から続く惨めな光景だった。
しかし、それが人々の感動を呼んだ。

人は人を気遣うようになり、助けあい始めた。
人は中馬大蔵に多くの声援を送るようになった。
「あいがとごしゃげ申す。ほんのこて、あいがとごしゃげ申す!」

中馬はとうとう、主君・島津義弘のもとへ。
兵たちは中馬との再会を大いに喜ぶ。

関ヶ原。
島津軍は静かにただそこに存在していた。
陣前に睨みをきかせる兵たち。

小早川秀秋の裏切りにより、戦況は東軍有利にひっくりかえる。
逃げ帰る多数の兵たちを見つめる島津軍。
島津豊久「島津らしか戦で天下に武勇を示し、退却すっとでごあす。」
島津義弘「俺は、おはんらの命を使い捨てる。よいか。」
全員「応」
前方へ撤退を決める島津軍!

関ヶ原中央突破にて、薩摩への道を切り開く!

島津の戦いが始まった。全軍一丸となった集団は荒れ果てた大地をまっしぐらにを駆け始めた。
伊勢街道烏頭坂を駆け下りる。追いすがる夥しい敵を振り払う。ひとりひとりが壁になる。牧田川を頼りに進路を南へ。竜ヶ岳、御在所、鈴鹿の山並みを右に見ながら、伊賀を越え信楽へ。大坂からは瀬戸内海。豊後水道、日向灘、故郷・桜島へ還る、
島津の疾風!!

カーテンコール!
大喝采の中、迎えられたシアターキューブリックの面々。
正直羨ましかったです。
東京でやることがあり、参加できませんでしたが
身内が東京などという枠を越えて、いろいろな場所で受け入れられて。
411年前は、武力で日本を制圧し、威光で天下を治めねばならなかったけど
お芝居を上演し、各地で味方をつくっていって、元気をあげて
いつか世の中が笑顔と活力あふれる一つのまちになる。
今なら、こんな天下統一もできるのではないかと思います。
エンターテインメントでどしどし群雄割拠したい。