演劇

ふだんあまり、公共の場でこんな話をしない方なのですが
今日はたまたま。

演劇の話。

そしてルーツの話。

僕が
演劇を志すようになったのは
いつなのだろうと思います。

正直、
少年時代は自分の事が嫌いでたまらなく
何一つ上手くいかないなと思ってました。
冷静に、世の中における自分の必要性を考えるぐらい。



人は誰だってそんなもんです。

そんな中、
「おまえ、いい声してんな!」
と唯一褒められました。
しかも野球をしている時に。
外野から打者まで、ゆうゆう、ビンビンに響く声で野次とばしていた時のことです。
小学生。

さらに加えて、学芸会が大好きでした。

記憶にあるだけで
小3、小5、そして小6のお別れ会と舞台に立っています。

舞台で何かを表現するというか、
お客さんに物語を見せるという行為に、楽しさを見出したのはその頃。

しかし問題だったのは
極度の引っ込み思案だということです。

ほとんどしゃべらないし、ほとんど目を見ない。
それは無口だからではなく、緊張してるから。
そんな思春期。
それは受け入れられることではなく、悔しかった!

僕は、だからこそ、スポーツマンになりたかった。
男だったこともあるけど
子供はだれだって強くありたいものでした。
そしてスポーツの基本、走ることをもっと上手くなるために
中学では陸上部に入った。
がんばって走りましたよ。
だけど、大していい成績をおさめませんでした。

小学校時代の野球でも、「いい声」しか褒められない始末。

なんだか、スポーツと自分の関係って何なの?と
いろいろ諦める始末。

そうして高校時代。
何をすればいいの?と迷う時期。
今、思えば、この頃、演劇熱が強くなったんだと思います。

スポーツを諦められず
だけど、気がひけて、部活に勤しむタイミングを逃した僕。
なんとなくの日々。
進学校だったので、それでもやることはいろいろ。

でも

なんだかなぁ…
とおもいながら過ごしてました。

そしてやって来ました文化祭!
各クラスで出し物を考えます。

そこで決まったのが、ミヒャエル・エンデの「モモ」を上演すること
「モモ」は児童文学の中でも人気が高く、しかも内容もなかなか考えさせられる
おとなもこどもも楽しめるもの。
けっこう分厚い。それを15分に、クラスのある一人が編集して台本化した。
今おもえば、この本、まんま台本にしたら4時間はくだらないと思う。
当時は思わなかったけど、すごいな!アイツ!
しかも3部にわかれてる。
僕は1部目に登場する灰色の男という役をもらった。
主人公を籠絡する役。
あの時のことは今でも忘れない。
しょうじき、台本をもって、稽古をして、お客さんを意識して
たった5分とはいえ演劇を上演するという体験
それを認識するという事は初めての事!
小学校時代とは全く違う緊張感にとりこまれました。
うける!うけない!という所まで考えつきませんでした!
まさに無我夢中!
役柄上サングラスを掛けることとなったのが、スイッチになったのかもしれません。
いつの間にか本番になり、文化祭でのステージがスタート!
スポーツにおける「ゾーン」の状態が僕にはあり、
セリフも動きもすらすらでした。
そして、お客さんたちも、とってもいい顔。
正直、この時ほどの「ゾーン」は今でも体験していないと思う。

いつの間にか文化祭もおわり、
年も変わり、高校2年。文化祭は笑点をやり、とっても盛り上がりました。
高校3年では文化祭参加をNGとされ、高校側ともめながらも
音楽会でものすごく頑張りました。
評価はされなかったけど、あの時のパッションは今でも続いています。

僕は受験をし、大学へ行きました。
しかも目的は演劇をやること。

これは今考えるとたまたまだと思うのですが
僕がいた大学の演劇サークルがとにかく特殊だったのだと思います。
「プロジェクト制」というものを取り入れていて
同時に何個も芝居が作られていて
どこにどのように参加をするのかは、参加者に委ねられます。
しかも、拒否権はなく、受け入れるという必然がありました。
それによって、誰でも演劇をすることができ、誰でもどんな立場をとれました。
役者だけでなく、照明、音響、制作、作、演出でも。
それによって、内向きの力による、劇団のような良さはあまりなかったですが
挑戦心、探究心、気軽さ、出会いの数、実験心、経験できる量など、
自分で選べて、自分で分量も決められ、自分でこだわることができるという
なんとも新しい、演劇のスタイルを体験できました。
ここでの演劇生活が今後の僕を作ったのだと思います。

毎月のように、いや、毎週のように、いろんな演劇体制に首突っ込んでました。

今やっているインプロのような感覚がこの時すでにあったのだと思います。
Yes And!のような。

4年どころか、5年も在籍しました。
楽しかった!

そこからです。
僕がそれまでの経験を元に「演劇界」というところに踊りだすのは!

仲間たちと演劇活動をしつつも
シアターキューブリックという劇団に参加しました。

旗揚げ劇団!

たった一つの組織に従事するなんて、なんだかんだいって初めて!
こころ踊りつつも、とまどいの連続!

それは、僕だけでなく、集まったみんなそうだったのだと思います。
たくさんの劇団を経験しているもの
サラリーマンあがりのもの
まったくの初めてのもの
サポートメンバーとして参加してくるもの
劇団を立ち上げたもの。
いろいろ。

当然のように、たくさんの事件や揉め事、感動ごとが起き、
雨降って地固まるを繰り返す。

そうして13年

その間に、スーパーグラップラーやカプセル兵団、などの馴染みの劇団さんも外部にでき
インプロ(即興劇)という活動も始めた。
どこも、一筋縄ではいかない団体ばかり。
苦労に苦労を重ねたけど、楽しかったトコロばかりだからあまりそんな気もしない。

たったひとつのことをして、今があるなんて全く思わない。
いろんな事を考えたし、挫折も歓喜も十分あじわった。経験値もなるべくためた。
こうして今の僕がある。

だけど、シアターキューブリックにいるという事が
僕の結果なんだと思う。

明日どうなるかわからないけど
それはどうでもよくて、

今回、今までどうしてきたかを振り返ってみたけど、それもホントはどうでもよくて。

今後

何を為して行くのだろうとただ思います。
思うだけで
今を一所懸命、繰り返すだけですが。

あの日の「ゾーン」を目指すもよし、
新しい演劇を作るもよし、
スポーツマンをまた目指すもよし、
選択は自由です。

ただ、楽しいと思ってもらえることを
ほんの目の前の人たちのは感じてもらいたいですね。

その連鎖につぐ連鎖で、日本中や世界中が元気に満ちてくれたらいい。

プロフィール

千田剛士

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出演動画

シアターキューブリック
『誰ガタメノ剣』
2010年 紀伊國屋サザンシアター


シアターキューブリック
『ベイクド・マンション』
2009年 シアターサンモール


シアターキューブリック
『銚電スリーナイン』
2008年 銚子電鉄車内
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