『劇団』の使命

最近、とても思うことなのですが
音楽関係の方と話をすると、インディーズとかメジャーとか話してて
登竜門がどうとか、事務所の方がどうとか言っていて
ああ、そういうかそういう世界なんだなぁなんて思います。
ダンサーさんたちもそうかなぁ。
目指す方向性とかしっかりあって、ジャンル分けもしっかりしていて
みなさん、この手の使い方は〜的だとか、このステップの名前は〜だ。とかおっしゃいます。

演劇ってどうかなぁと思ってしまいました。
例えばミュージカルや企業プロデュースの公演などは、似た世界なのかもしれません。
しかし、僕らのいる小劇場と呼ばれる世界はどうか?
というと、じゃあコンテストがあるのか?と言われればあるようで無いし
インディーズからメジャーにとかあるのか?と言われれば、その境はどこなのかわからないし
そもそも、上への道というものがそもそも、見えてこない世界です。
そういえば、演劇の学校というものも、国が抱えているようなこともなく
それぞれが自由意志でやっているという感覚がありますし
お客さんとしても、どうやって格付けをしたらいいかわからないと思います。

これって良くないですよね?

例えば絵や造形の世界などもそれに近いのかなぁと思いますが
これらは残りますし、死んだ後に評価されたりされます。

しかし演劇は通りすぎていく文化だし、「今」を与える文化です。
例えば映像や書籍で残しても、本来のものとはまるで違います。

この話は日本に限っての話です。
海外の、特に欧米の演劇文化は上へ登る道がたしかにありますし
教育環境もしっかりしています。
日本はそれらがない分、自由度が増しているからいいじゃないか!という意見があります。
が、それによって横へ横へと文化が広がってしまっています。
作品も団体も増えていくから、やる側も見る側も大多数化した作品群に四苦八苦。
さらに、参加する演劇人のポテンシャルの格付けもできないから
じつにカオスな現場が出来上がりがちです。
それでも人間は徒党を組む生き物ですから、それなりに空気を合わせられるメンツを求め
一つのチームを作るべく思考をめぐらします。
ただそれでも、最高のチームが出来上がるには途方も無いピラミッド構造の末という事になります。
しかも、わかりやすいレベルの上下による登頂ではなく、大迷路を抜けた末の登頂なので
その行程がはたしてどういったものであったのかは想像の域を出ません。
つまり
偶然の産物である可能性が高いのです。

どうでしょう?
困ったものではないですか?

その環境に甘えて、ついつい僕も
「楽しい演劇」とか「僕らだけの演劇」とかと軽々しく口にしてしまいますが
果たしてそれは良いことか?
年々わからなくなります。

果たして、数十年後の日本の演劇はどうなっているのか?

巨大な劇団や、歌舞伎界などはしっかりとしたシステムがありますから
何事かなければ残っていくでしょう。

では、小劇場界はどうか?
心配でなりません。
最近の劇団俳優はさほど貧乏ではなくなったと言いますが
それでも同年代の中では貧乏でしょうし
逆にハングリーさが欠けていっているという意見もあります。
それで「魂」をこめて作品をつくれる団体がどれくらい残るのか?

かつての日本演劇界はほんとうに家族のような生活をして
貧乏ながらも心は富んでいるという一つの塊のような団体が多かった。
今は、プロデュースや俳優の貸し借りが流行り、システム化しているので
その感覚は薄れていると思いますが
それはそれで時代の変化かもしれませんし、だからって「魂」こめられないか?
って言ったらそんな事ないでしょう。

ただ、そうしているうちに、案外、近いところで満足してしまうなぁと思います。
ある程度、動員もできてしまい、貸し借りの末、少し見知らぬお客さんからも称賛され
満足してしまったり、
普段やらない俳優さんたちと一つのチームが出来たことでかなりの満足を得てしまったり。
それでも傑作と呼ばれる作品は生まれるし、お客さんに演劇の楽しさを伝えていけるでしょう。
そして新しい演劇もどんどん生まれていくでしょう。
「楽しい演劇」「僕らだけの演劇」実現できるでしょう。

しかし、上への道はどこにあるのでしょう?

メジャーと言っているのではありません。

世のアーティストたちは常にそのアートの腕を研鑽し、高め、発表し続けることでその技術を共有し、継承しています。
それにより、世界新記録は生まれるし、新現代アートも生まれる。iphoneだって生まれました。

小劇場界では、この感覚が無いなぁと思いました。
研鑽も過去を受け継ぎ続けたものではないことが多いし、自分スタートからの向上であることが多い。発表も作品ごとの何かでしかなかったりすることも多い。
なぜか、裏側でのしきたりや筋、ルールなどは、これもまた十人十色なのですが根強く残っていて
劇団という枠や、上下関係、他社との線引きが事細かくあったりします。

しかし「劇団」たるもの

演劇を高め、継承していく役割を担うべきなのではないでしょうか?
温故知新とは過去の作品を称賛してやり続けることではなく、
過去を受け継ぎ、自ら研究し、進化の道を作りながら時代に繋いでいく事ではないでしょうか?
劇団なんだから、もっともっと演劇の楽しさを知り、よりたくさんの人に知ってもらい、
それを見たい、そしてやりたいという人を増やしていくという事をしよう。

そんな事をさいきん、ウズウズと考えるようになってきました。

どうも、一つ一つの活動が階段のように登って行きづらいなと思っていて。
一つの作品、一つの作品に魂を込め、最高傑作を目指す!
それだけでも大変なことですが、それだけじゃ、やっぱり自己満足。

雨乞いとかそういった創世の頃から演劇ってあったはず。
そこから面々と続いてきた歴史を受けつがずして、何が演劇人だ!と。
まだどうすればいいのかはわかりませんが、
とりあえず、劇団なんて枠あまり意味が無いし
へんな壁はとっぱらって、演劇やっているひとたちの交流をする所からかしら。

ひとつでもいいから研究と実験をしてみて、その成果を伝えるなどしていきたいな。
プロフィール

千田剛士

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『誰ガタメノ剣』
2010年 紀伊國屋サザンシアター


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